この記事は、私がインターネットビジネスを始めて6ヶ月目の2005年5月に配信したメルマガの内容です。
押しも押されぬ、自他共に認める、生粋の「ばあちゃんっ子」だったんです、わたし。
そのわたしのばあちゃんが一週間前、冥土へ旅立っていきました。
87歳でした。
病院から一旦自宅に戻ってきた、ばあちゃんの亡骸。玄関に黒い幕が付けられ、近所の人達がお悔やみに来てくれました。
その中でも、とくに悲しんでくれたのが、10年前に隣の家に越してきたブラジルから日本に働きにきた日経3世のブラジル人家族の人達でした。ちゃんと日本式に香典まで持ってきてくれて。
お父さんとお母さん、そして姉弟の4人家族。日本に来た当初から、なぜかよくうちに遊びに来てくれていて、特に現在14歳の女の子と10歳の男の子の姉弟は、小さいときから、
ばあちゃんとは大の仲良しだったんです。家に帰るとばあちゃんと折り紙をしたり、テレビを見たり、おやつを食べてたりと。
ほんと、自由に出入りしていたんですよ。
(オバアチャン、ダイスキダッタ、サミシイネ)
と、人目をはばからず声を出し、しゃくり上げて泣いてくれてるんです。そしてその姉弟、帰り際、
(オバアチャン、サヨナラ)
と言い、ばあちゃんのおでこに、そっとキスをし、最後の別れをしてくれたんです。
その光景を目にした人たちからは驚くと共に感動し涙を誘いました。そして涙が止まらなくなりました。
人の悪口を決して言わず、誰隔てなく満面の笑みで人に接していた、ばあちゃん。
だからこそ、多くの人達に愛されていたんだと思います。
滞り無く無事に葬儀を終え、悲しみの後に見えてきたものがあるのです。ばあちゃんが死んで本当に悲しいです。
が、そのことで学んだことがいっぱいあります。
時間大切さや、
人に対しての思いやり、
そして笑顔です。
そしてその笑顔はばあちゃんに接する人たちの癒やしとなっていたんだという事に気が付きました。人の役に立っていたんです。
日々、笑顔を配っていたんです。だから、そのやさしい笑顔を見るためにばあちゃんの周りには多くの人達がいたんだと。
ちなみにきぬばあちゃんは、よくブーって屁をこいていたんですが、そんな時、
「屁ー出てしもたわ!」
と笑顔で私達をみるのですが、その一言を満面の笑顔でいわれると、一緒に笑ってしまうんです。
そんな瞬間がとても癒しになるんですね、屁をこいているのに(笑
ばあちゃんから学んだことを活かし、「これから限られた時間の中で、めいいっぱい生きてやる!」
そうすることが、何よりの供養だと思っています。
なにかの形でばあちゃんのこと、記録しておきたいと思ったので書かせていただきました。
今でもお墓参りに行った時に浮かぶのはばあちゃんは笑顔です。
情報発信者としていかに多くの方に、自分の持っいるリソースを役に立てるか?きっかけを作れるか?そして一緒に歩んでいけるか?ということを肝に命じ情報を発信しています。
なにかをやろうとした時、必ずぶつかる壁があります。しかし、そんな時はわたしは鏡の前に立ち自分の笑顔をみます。
作り笑いの笑顔が出来るのであればまだまだ、あなたのパワーはエンプティ(空っぽ)にはなっていません。
さ、トライしましょう!
やった後悔より、やらなかった後悔の方が大きいので。